セッションは語り合い

 私はセッションが割りと好きである。その無限増殖的な生態も愛すべきであると思うし、参加各メンバーと言葉をかわす様に音をかわすのは、スリリングであるしまた、良い刺激を得られる。

 が、まれにこのセッションにすでに出来上がった曲の反復演奏を期待する人が紛れ込む。こういう場合彼はお約束の音を私に望み、私は二度と同じことはしないタイプであるので、見事にぶつかることとなる。もちろん、習作の途上にある人達の場合はきちんと反復で演奏することも意味があるかもしれない。が、そうでないとすると、クラブ等でのBGMと変わりないではないか!しかも反復の音を出しつつ自分のトーンを打ち出すならともかくなんらその人の顔が見えないとなると、こちらは語りかけているにも関わらず、相手は朗読で返しているようなものではないか・・こんな哀しいことはまっぴらだと思う・・俺は語り掛けているのだ・・なんで自分の言葉で答えないのだ!上手い朗読を聞かせてもらいたいわけではない!・・と叫びたくなる・・

 そもそもコミュニケーションとして話をするのにテクニックを弄する必要など無い。田舎のとつとつとしか喋れない老人の語りに価値が無いなどと抜かず馬鹿は珍しいだろう・・雄弁ばかりが価値があるなどと言うか?音楽にもそうした面があることをゆめゆめ忘れたくない。

 セッションとはつまり語り合うことなのだ・・上手い下手以上に相手の生きざまや、音楽観を・・そして経験を・・それぞれの楽器の音に乗せて・・だから、2度も3度も同じことなど話せない!


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