トイレと言う閉鎖空間と場としての作用

 さて、本考察の一番最初に私はトイレという空間に関して神経質であると述べた。

 自意識をなだめるのに苦労した幼年期の記憶の一番最初の頃のものでさえ、排泄行為に関して付近に他人がいることを嫌った。確か幼稚園の頃までは他人の家で大は出来なかったように記憶している。

 さすがに長じてからは意識的に気にしないように努め、それなりに用を足せるようにはなったが、やはり今だ他人の気配がないときが一番落ち着いて専念できるようである。

 このような立場からトイレを見た場合、なんと日本のトイレというのは音的に無神経であることか・・

 もともとが木と紙からなる日本家屋の場合、確かにプライバシーの観点からはいかがなものかと思われる部分が多かったのは認める。しかしながら適度な内部損失を伴う木という材質は、また、適度な吸音、並びに防振という機能をも併せ持っていた。したがってトイレの音が他の部屋まで轟き渡るような悲惨なことは無かった・・

 近年、コンクリート建造物が増えることによりこの吸音の面で条件の悪い建物が増えてしまった。我が職場もトイレが事務室の正面にあり小便のささやかな音すらトイレ壁面に多重反射して聞こえる。このことを知っているととてもの事に事務室のドアが開いている限り正面のトイレに入る勇気は・・ない。これが日本の比較的大きな企業の通常の大部屋型事務室なんかだと事務室の暗騒音自体が相当レベルに達するので気にすることは無いのかもしれない・・が我が職場は図書館などという静粛性を売り物にしている職場なのだ・・静粛な図書館の閲覧室に轟き渡るトイレの音というものを想像していただきたい。あなたはそれでも入る勇気がありますか・・じょしこーせいとかが沢山いる中で・・

 さて、私が斯様に音に神経質なのは職業ゆえかもしれないが、気にしない人はまったく気にしていないようである。

 私の場合トイレに入った瞬間からその個室内のあらゆる音が気になる。ましてや隣に人が入ると隣のブースの音にどうしても耳をそばだてることになってしまう。

 大体あの金属性のペーパーホルダーが身も蓋もない音を立てやがる。これからけつのくそを拭くぞという宣言のようなあの音を何とかしようという人はいないのか・・あの音は水流でごまかす事もできないし・・

 近年女子トイレで水流音を出しておしっこの音をごまかそうというグッズが常備されつつあると聞くが、そもそも用を足す音が外に漏れる構造自体が良くないのだとは誰も言わないのだろうか・・

 さて、かような私が、隣のブースに人が入ってきただけで便秘気味になるというのもむべなるかなと感じていただけると思うのだが、つわものとは何処にでもいるもので、その最たるものはおばさん軍団かもしれない・・

あれは小学生か中学生の頃、今ほど厚顔無恥にもなれずトイレ空間のプライベート性にもっと敏感だった頃の話・・

 我が家の生業であるドライブインは旧峠道の相当に上部にあった。里に面した斜面に切り開かれた道路に面して立てていたので、トイレは母屋と離して100mくらい下にくだった所に2ブース型で設置していた。

 斜面をうまく利用し、大きく張り出した床の下にドラム缶を置いただけといういたってシンプルな作りで、当然私はこのトイレで大をするのが大嫌いであった。

 特に夏場はハエはもちろん、当地で通称「くそバチ」と呼ぶ細長い羽に茶色の紋を持ったハチが便の上を歩いていたりして、神経質な私にはとうてい耐え得るものではなかったのだ・・

 しかし、窮すれば・・なのか急すればなのか・・いずれ年に何回かは使わざるを得ないときというのは来るもので・・泣く泣くそのトイレを使うはめになるのである。

 そもそも他の生き物の気配ですら嫌いなのである。排泄という局面では・・なのにそういうときに限って団体バスが到着したりして、大量の乗客が私が身を潜めているトイレに殺到するのであった。

 こちとら、もうバスの気配の段階で撤収を試みるのであるが、トイレから出てきた姿を見られることすら嫌いな私としては、この傍若無人な嵐が過ぎ去るのををじっと息を潜めて待とうとするわけであるが、おばちゃん軍団は「ドンドンドン!」「あや!入ってら!」(ここは東北・・)とのたまって、すぐに隣のブースに駆け込むのである。そしてドアが閉まるか否かという瞬間に「ジャー!」っと馬も驚くほどの大音響を轟かせながら用を足すのであった・・

 いや・・確かに女性の尿道は短く男性よりは太めである。しかし、何故にあれほど短時間に、しかもあれほどの大音響を轟かせるのだ!

 私はたとえ無人であることを確認していてさえ、ドラム缶に対する小便の入射角を調整し、第1反射、第2反射の行き着く先まで計算して極力音を立てまいと苦労しているというのに・・


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